※AI機能がこのブログを読んでタイトルを考えてくれました!初めて使用したけど技術進歩、すごい(笑)
こちらに投稿しよう、と思いながらも気づいたら2か月も経過しており&仕事が12月から始まり怒涛の勢いで年を越して今に至っております。
今日はなんでブログを書きたくなったかというと、
日本学を学んだドイツ人の友達が、もう日本のことを好きじゃないという話が話題に上がり、切なさとともに納得する部分もあったからです。
こういう話を見たくない方は見ないでくださいね。
友人との会話で納得したこと、客観的に自国を見ることの大切さも実感したことを書き留めたいと思っての投稿です。
その友人はドイツ人で、日本語も流ちょう、日本での留学経験も複数回あります。
元々はこちらで同僚として知り合いましたが、意気投合して仕事を辞めても会っています。
その人は現在日本より韓国に興味を持っています。
但しドイツでは大学に行っていたら自分が専攻していた内容に特化した職しかあまり見つからないので、その人は日本にもう興味がないけれども、仕事探しは結局日本に関係した仕事を探さねばならないそうです。
今日何のことだったか忘れましたが話題が日本についてになり、
その人曰く「もう日本にはいきたいと思えないんだよね」という話になりました。
私は日本人で私とは日本語で話すことも多いにもかかわらず、
実はもう大分前から日本に興味はないと言っており、いまは韓国に興味を持ってることは知っていましたが日本が”好きじゃない”という事実を知りとっさに「え、なんで?」と聞きました。
すると納得せざるを得ない理由を話されました。
その人は数年前のコロナ流行期に丁度日本に留学していたそうです。
その際に日本の水際対策が、あまりにも「外国人」を冷遇したものだったことに心底失望したそうです。
確かに言う通り、当時は永住権を持つ外国籍の住人に対しても日本政府は「再入国は認めない」姿勢を取っていたことを思いだしました。
これは、私の夫が同じくドイツ人で外国籍出身者だったことから水際対策についてアンテナを張っていたから覚えています。
その時期に日本国外に出る=戻ってこられなくなる、という外国籍者にとっては見通しのない・厳しい政策でした。
その反面、例えばドイツではどうだったか。
ドイツでは外国籍者がどう、だとかそんな部分に焦点を当てていませんでした。
入国に有効なパスポートさえ持っていれば旅行者でさえも入国が許されていた。
その点に友人は疑念を抱いたそうです。
また、日本の歴史教育の点でも痛いところを突かれました。
第二次世界大戦で日本が他国に行った蛮行について日本は歴史の授業でしっかり教えていない。ドイツは少なくともドイツが行ったナチスの過ちを、しっかりと授業で教える。同じ側で戦った国同士と言えど、日本が行っている歴史教育って何だ、正直何様なのと思う、と言われました。(そのまんまの言葉です)
納得しかなく、また自分で何も言い返す言葉も見つからず情けなく思いました。
まず第一に、私自身は日本の歴史についてしっかり学んだ覚えがありませんので自分の国の歴史について話せません。
中学の時は受験のために勉強したくらいですし、高校は世界史を専攻していました。
途中日本史も履修の必要がある問題が世間で騒がれ、日本史も軽く学びましたが正直なところそれきりです。
今思えば、歴史の授業は海外で他国の人とコミュニケーションを取るためにとても大事なことだと感じています。
今年は少しずつ自分の国について、30代ながら、再勉強したくなってきました。
特にこの件で友人と喧嘩しただとか、議論が激しくなったというわけでは全くありません。
ただ、私ではどうにもできない自分の出身国のことで残念ながらこのような批判的は意見をもらうことは残念であり、ただ大事な意見、大事な客観的な視点だと感じました。
そういえば韓国人の友人からも、日本のことを批判されたことがあります。その時に気まずく感じました。
私自身もそのような友人たちの意見に大いに賛同する点があった部分が大きいことも、残念なことだなと思いました。
その人たちとはもちろん友達な事には変わりませんが、出身国が違うことでこのような育ってきた環境や考え方が異なることは避けることができないことです。
なので、普段はあまり政治的なことに関心を持たず、話さない/話せない自分の姿勢を改めたくなったのも事実です。
議論したいか、と言われるとそうでもないのですが一方でやはり自分の国について正しく知り、言われっぱなしなことも更によくない気がするので、そのような話の流れになってもしっかり意見の言える人間になりたいなと思いました。
このブログをここまで読んだ方は「こいつ何言いたいんだ」と思ったかもしれませんが、今日感じたこととしては
「日本への客観的・厳しい声もあるのは確か。ただ自分が何も自国について知らないというのも論外であり、日本人以外の相手に何も話ができないし、自国民からの視点として意見を伝えることもできない、ではよくない。」と感じたわけです。