とある日本人女の体験 in ドイツ🇩🇪⇄🇯🇵

取り敢えずのところは、自分の記録用🍀

2025年PIERROT 有明アリーナ 2days振り返り

時は5月25日、もう2月の有明アリーナ公演がはるか昔のように思えてしまうほど、

時が経つのは早いもので。

2月はまだ寒い時期で、前回5月の暑い初夏の天候など嘘のような気候だった。

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有明ライブ参戦服についての想い入れ】*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

この有明公演、私は長年ずっと憧れていたゴスロリ服を着てPIERROTライブに参戦する、と2024年年末に決めていたから、ライブ服の準備はばっちりだった。そういう意味でも、いい思い出になるイベントとなった。

 

20年前の時を遡ると2000年台、当時10代の私は当然ながらバイトもできる年でなく、親にねだって買ってもらう毎月の月刊誌KERA!をよみ、一年に数回だけちょっとお高めの欲しい服を地元の都会で(笑)買ってもらうこと以外、機会がなかった。

PIERROTライブに初めて参戦が決まったのは2005年のDIC VII、当時はALGONQUINS大好き人間だったので、親にねだってこの日の服は買ってもらった。

ただ初めてのPIERROTライブ会場で見た、全身真っ黒に身を包んだゴスロリ服を着たお姉さん達に猛烈に憧れたものだった。

 

私もいつかのライブでこんな格好したいなぁとおもっていたら、2006年の解散で夢破れたり。それ以降は、Tシャツにジーンズ👖メインのRockライブに通うようになっていたので、自然と黒い服やゴスロリ服を着たいと思わなくなった自分がいた。

 

時は戻って2025年、10代のころ実現していなかった「いつかやってみたい」を実現するのに現在30代半ば、いいのか…?と内心思いながらも、いや、やらないで死ぬ人生より、やって死ぬ人生にしよう!ということと、誰も気にしないよ、という思いを心に暗示をかけて、2024年年末、旅先のアトリエピエロ大阪店で感じのいい店員さんのアドバイスのもと、モワティエのゴシックなブラウスとスカート、アトリエピエロのパニエとヘッドドレスを購入したのだった。

(アトリエピエロさんでモワティエの取り扱いは無くなったそう)

ミホマツも同時に検討していたが、今回は見送った。でも、次回PIERROTライブでは着用してみたいブランドの服である。

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いままでこういう服を買うまでちゃんとは気がつかなかったのだが、

こういった服は、服以外にも、靴やバッグ、タイツに髪色髪型、ネイルにメイク、小物、全てにおいて、世界に入り込む必要があるんだな、と感じた。

どこか1つでも手を抜くと、一気に世界観に歪みが生じるんだな、と。

そのため、普段からゴシック・ロリータを愛する皆様には心からの敬意を表したい。

これはコスプレイヤーさんも同じく、心から尊敬する。

本当にすごい。

最近では、ブランド物とお手軽価格物の論争が巻き起こっていたが、

私個人的には、値段よりも全身で世界観を作っているのならば、その努力がすごい、と思うのだ。

 

そんな努力の塊を身にまとった皆様にお会いできるPIERROTライブは私にとっていまだに特別な場であり、勉強の場である。

また次の機会があり暑くない時期であるならば、是非またゴス系(ロリ要素はいれるか検討中)でいきたいと心に誓っている。

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【1日目】

話は逸れたが、PIERROT10年ぶりのワンマンライブ。

2024年10月ジナスライブ2日目に突如として発表された、この2デイズライブ。

何が何でも全力で参戦してやる!と心に決めていた。

私は現在ドイツ在住の人間なので、普通は戸惑ってもいいくらいのはずなのに、この有明公演に関してはジナス発表日に即断していて、ドイツに戻ったら家族を説得する固い決意を胸にしていた。

幸いにも家族の理解と協力を得られ、問題なくすぐに行動に移すことができた。

数か月分の給与は飛行機代とチケット代に消えていったが、そんなの問題なかった。

 

有明アリーナでは、1日目は友人達とA席、2日目はアルルS席が当選したので、異なる視点からPIERROTライブを堪能できた。

 

有明アリーナの会場は、ライブ会場とは別に別ホールでメンバーのジナス2024の衣装展示とグッズ販売ブース、フォトスポットが用意されていて、お祭り気分が半端なかった。

Dictators Circusの会場の盛り上がりと同じようなものを感じて、その場にいられることが最高に幸せだった。

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1日目 特に印象的だった曲・場面のみ抜粋

FINALE始まりは鳥肌物のイントロから。火柱があがっていたよね?(もう記憶曖昧)

その後4曲目に、キリトのツイート通り「自●の理由(わけ・最近自分の中で読み方訂正した)」、なんせ人生で1回しか見たことないから周りのラーさんの動きを真似!

これが楽しい(笑)

まだまだ自分はひよっこだーと思いながらも、学ばせてもらえる喜び!右にぐるぐる、左にぐるぐるね!→5月に存分に復習できた!

 

ドラキュラはイントロが流れると、ニヤァな笑いをしてしまうノリに。

意気揚々と振り上げる十字架、この胸に突き刺し、幕を降ろしつつ、ヘドバンが楽しい。

 

満月に照らされた最後の言葉、が演奏されるときの高揚感はベスト10に入る。

なんせ道化師が指さす方向を一斉に皆でさすし、メンコできるし、「じゅん、じゅん!」で唯一間違えず推しを叫べるから(笑)

この時はご丁寧に照明さんがコールの順番を照明でも教えてくださる親切心。めっちゃよかった!

 

トリカゴ、は潤FCの月1生配信ギター解説でいかに潤パートが色々忙しく大変かを身をもって知ったので、ずっと潤の演奏パートに集中して耳をそばだてていた。

かっこよかった。

と思ったら、その後にPURPLE SKY!懐かしすぎた。20年ぶりに聴けた。名曲。

しっとり落ち着いた雰囲気に…と思いきや、潤お立ち台へ→自主規制へ⚡

休む間を少ししか与えてくれない令和のPIERROT、最高!

畳みかけるように、MAD SKYにCREATUREで本編終了だった。

 

アンコール明けは、深い眠りが覚めたら→PIECES という流れで、ここ近年のセトリによく登場するこれらの曲がいかにキリト的に大事な想いを込めた曲か、ということを感じさせられる。

SEPIAもずっと解散後から演奏されるが、前も書いたようにもう悲しい曲なんかじゃなくなったのは、本当にすごい奇跡。

2006年の自分に教えてあげたい。

大好きな蜘蛛の意図では、最近のマイルールで絶対に間奏部分は潤とTAKEOの様子を、ヘドバンせずに観察する、と決めている。

ラストはHUMAN GATE。

上から見ると、明らかに銀テープの放出範囲が今回は狭いなぁと感じた思い出(笑)

アルルSSのみじゃね?と思ったような。

 

ライブはあっという間に終了。でも明日もあるし!ということで参戦した友人たちと打ち上げ名目のご飯会へ。

今までライブ後は基本的に直帰組だったので、今回仲間たちとライブの感想を高い熱量で話せ最高だった。ありがとう!

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そういえば、今だから書けるがこの日の中盤のMCで突如発表された5月のKアリーナ2デイズ。この時の私は正直、Kアリーナ参戦はもう無理だ、とあきらめていた。

なので、歓喜で湧いている周囲を横目に正直気持ちはどんよりしていた。

 

だが諦めの悪さが強み?の自分、その後Kアリーナに行くことになろうとは。いまでもすごいことしたなぁという気持ちでいっぱいである。

結論、決意してよかった。

 

【2日目】

前回のジナスで偶然隣になり、意気投合してお友達になったピエラー友人とこの日は大半の時間を楽しく開演ちょっと前まで過ごせたことがよかった。ありがとう!

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この日はアルルS席ぼっち参戦。一体全体、どこの席で、しかもぼっちで、どうしよう…とものすごく緊張していた。

前日の発券時に、どうやら潤側下手だ、ということが判明して、きゃーーー!となっていた。さらによく見ると前から5列目。ち、ちかそう。。。

席に着くなり、席番号の書かれた紙を見て実感。

あ、席番が潤の誕生日番号【5列4番】だ!と。個人的に大快挙であった。

めちゃくちゃステージが近かったので、始まったらどうなっちゃうんだろう、とドキドキ。

両隣さんはどんな人だろうか、ともドキドキしていると左隣には優しそうな女性。

右隣には、男性が座られた。

左隣のお姉さんもお一人参戦のようだったので、緊張から誰かと話さないと無理!と思い、お声がけさせていただき、どこからいらしたか、など世間話などさせていただいた。

ついでにこの日のために数枚用意した、ピエラーとしての初名刺もお渡しさせていただき、そのお陰で後日、Xで繋がることができた。

 

照明が暗くなり、メンバーの登場を待つと、この日は巨大シャンデリアみたいな昇降式大スクリーン下に準備したメンバーがHEAVENのイントロと共に、スクリーンが上ることで登場し、感動した。

華やかな登場シーンだった。

私はジャーであり、キリターであるが、最近ジャー強火なので、今回の神席に感謝して、この日はほぼ潤ばかり見ていた。

潤が上手に行くときだけ、下手に来てくれるメンバーをしっかり目に焼き付けた。

あと、真っ赤な花を歌う真っ赤なコートに身を包んだキリトから目が離せず、そこは大体キリトを見ていたと思う。

映像円盤が出たら全員しっかり見るから!という思いを胸に。

 

この日の驚きは、セルロイドが4曲目に来たこと。この曲も20年ぶり演奏で、1度しか見たことないから、もう振りなんかまったく分からない。(笑)

間奏で1回だけキリトが両腕を振る動きが好きだった。

→これもKアリで復習できた!

セルロイドという曲は、PIERROTがPIERROTである代表曲だよなぁという位、すごくいい意味で異質な曲で、大好きだ。改めて大好きになった。

 

その後の曲は、順番は違えど1日目と同じ曲も多かったが、

真っ赤な花のアカペラから始まる部分、そして真っ赤なコートのキリト、ダンサブルに舞うキリトが素敵すぎて、見惚れていた。名曲…

 

この日も、満月に~をやってくれたのは嬉しい意外性だった。

この日の本編ラストは、蜘蛛。しっかり暴れた。

実は本編終了後、即トイレに向かったのだがいつも通りの込み具合で、なんとアンコ明けのANSWERが始まったくらいに会場に戻ってしまったのは大反省。

曲中にお邪魔してしまった左隣の3名様、本当に申し訳ありませんでした。

→この反省はKアリに生かされた

 

HILLの演奏時に上から降った雪が綺麗だったが、これまた雪の降る範囲がどう見てもアルルSS部分のみで、ちょっと寂しかった(笑)

多分ステージの関係上だとおもう。Kアリはもっと広く演出されてたから。

ATENAは幸せ気分で踊り狂い、HUMANで銀テ放出!

今日はきっと前にいるし、絶対銀テGETできるぞ!と思っていたら、先に書いた通り予想外に放出範囲が狭すぎて、初動はGETできなかった。

が、しかし!心優しいラー達の気配り&右隣の男性がどうぞ、と譲ってくれたおかげで、欲しがっていた私たち左から4人全員に銀テが終演後、無事行き届いたのは、感動ものだった。

席を去る際に、左隣のお姉さんには、我が名刺を御渡し。

右隣のお兄さんには、銀テを譲っていただいた最大限のお礼をして、神席を立ち去ったのであった。

 

そういえば、この日の終演アナウンスがかかったとき、Wアンコの声があがった。

そういえば、PIERROTはWアンコあったよなぁと思いながらずっと声を上げていると、女性の声から、男性の声に変わり「また5月にお会いしましょう」という声の後、周囲のラー達が「潤が言うなら、仕方ないか。」と言っていて、

”え!今の潤だった?!わ~聞き逃したよ~”と思っていた。

 

※後日、潤本人からFC配信で「俺じゃないです。(笑)」という説明と、

さらにご丁寧に本人からXで「影アナの声は潤だったのではないかという話がありましたが、俺じゃありません。後日スタッフに確認したところ、イケボのスタッフさんだったことがわかりました。」との説明まであり、ピエラーの間でちょっとした騒ぎだった(笑)

 

こういうのいいよね、うん。

ライブだなぁって。こういうの全部ありきで、ライブなんだよね。最高でした。f:id:zukke200804:20250526185738j:image

2025年PIERROT Kアリーナ2days & ピエラーとしての5月までの振り返り

自分も想定外であった、2月からの3か月越しドイツ→日本への超遠征。

PIERROTに会うためだけに決めたこの渡航、こんなに私はPIERROTが好きだなんて、改めて実感するほどの行動力だった。

PIERROTのおかげで、家族と横浜周辺に住む昔からの友人や前職の同僚達にも会えて、ダブル、なんならトリプル得で、やっぱり半ば無理して来てよかった。

 

この渡航を決めたのは、3月上旬頃。

有明アリーナで5月の発表があってから約1か月、ずっと頭の中にもやもやしたものがあった。

ドイツから日本へ渡航するのは飛行機で直行便なら約13時間程。

航空券は、直近の期間でとることになったので10万円くらいはする。(ただGW明けのライブで本当に助かった🙏GW期間なら予想だけど、おそらく倍以上の値段で来れてなかった)

 

さらに仕事は毎日あるし、有給ももうすべて計画・申請済みだった。

我が家にはペットもいるし、数か月前にライブのために日本へ行ったばかりで、家族にまた渡航を相談するという部分が一番精神的に気が引けることだった。

 

ただやはり、このPIERROTというバンドの辿ってきた歴史を振り返ると、

解散が突然あり、その後のライブは何の前触れもなく告知され、約7年毎にまた世に現れる、という予測不能さから、

約束されたライブは確実にいかなければ後悔する、という気持ちに駆られていて、ずっと諦めきれないでいた。

 

気持ちが決まったのは、韓国グループを推しているドイツの友人とのご飯の席で。

このモヤモヤした気持ち、それに大体の人が言うであろう「え、また行くの?」という意見を想定していた自分だったが、

この友人はこっち側で(笑)、「行けるときに行って楽しんだらいいと思う!」と言ってくれた。やはり推しを持つもの同士、ジャンルは違っても好きな人・ことに対する想いは通じていた。

彼女に相談しなければ、私はきっとモヤモヤした気持ちのまま、Kアリにたどり着けてなかっただろう。

また今回、もう一つ後押ししてくれたのはFC二次抽選の申し込み時期だ。

一次抽選が終わり、即二次抽選が始まったことを皆さんは覚えているだろうか。

このKアリ公演では、アルルSSやアルルSが一次抽選ですべて当選させられず、当時沢山のラーさんたちが疑念を抱いたりしていたのを覚えている。どういう意図だったのかは不明。

私もそれは何故だろう、とおもったが、ある意味そのお陰で希望が持てて、

乗り遅れちゃったけどアルルS (有明2日目が良すぎたから) とか、もうどうせ無理だけどアルルSSも第三希望とかで応募してみよう、というノリになれたから、勢いがついた。

結果、両日通常S席ではあったが、3階席のほぼセンターで両日見れたから大満足だった。

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ただし今回は本当に最低限の準備で、ライブが見れればもうそれで十分、という気持ちでいたし、金銭的に全く余裕がなくて、ずっとライブ直前までグッズはどうするなど悩んでいたけど。

本当は、髪リタッチか染め直し、ネイルも予約、服装も洒落た感じで~が理想だったが、まったく時間もお金も余裕がなかった。でも終わってみると、全然OKだった。

今回は、前回の有明2日目Tを飛行機に着ていき、1日目はアルゴンキンの長袖、2日目はジナスのドルマンPIERROT-Tで臨んだ。

結果、それでよかった。1日目はちょっと肌寒く、2日目は蒸し暑くてTシャツがむしろ丁度いいくらいだった。

 

今回Kアリーナのグッズは神がかりすぎており、特にアパレルの充実度がすごくて、最後の最後、事後通販まで頭を抱えたが、PIERROTジャージは大当たりだし、事後通販のスウェットやアル限のドルマンTは次回のPIERROTライブで絶対に着る、と心に決めている。

 

【グッズ1日目】

以前横浜に住んでいたこともあり、横浜には以前の職場の同僚がおり、ランチをすることにしていたのでグッズ購入は13時以降に。

会場についてみると、見たことのないほど長蛇の列(いままで参戦したライブで一番最長待機時間だった!)、そして何より雨風の強いこと。

 

一瞬の晴れ間⛅️太陽神のパワー

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そしてまた曇り空へ 

今回は雨男パワーが優勢か?!😛

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1人でXを見ながら1時間半並ぶのは試練だった。傘は何度も🦇コウモリになるし…

道化師上等タオルが大活躍した!🤡

 

ただ結果として、ロトは希望回数引けたし (今回、ロト売り場と通常売り場の行き来が自由なのは助かった!) 、グッズもアル限グッズ以外は希望通り買えたので、頑張って並んでよかったなと思えた。

PIERROTグッズの魅力が、正直なところ、過去一💥爆発したライブだったとおもう。

いままでPIERROTライブグッズは、謎デザインのものも多かったので (正直でごめん) そこまでグッズを買ってこなかったのだが、今回はメカアイをはじめ、デザインもよすぎて、ここにきて困った(笑)

ESPのアクスタ、ピックセットも予想外のアイテムだったが絶対欲しかったので、購入できてよかった。

 

【開演前までの時間 1日目】

今の時代Xがあるおかげで、簡単にピエラーさんをネット上で見つけ繋がることができる。そのおかげもあり、相互フォローになったピエラーさん達と会場で名刺・お菓子交換をしようとおもっていたので、1日目・2日 目共にとても忙しかった。

Xでもつぶやいたが、今回の公演でピエラー (FC会員例*) のTo Doがありすぎた。

  • グッズ・ロト購入
  • *ファンクラブ特典交換 (アルルS、SSは更に追加で別枠もあり)
  • ロト交換・お譲り
  • コラボドリンクの購入
  • お名刺交換・ご挨拶
  • フォトスポットなどで写真撮影など

などだ。

今回の私は、遥々来ているからにはという思いと、次はきっと未定だからという理由で、上記を全てこなそうと直近で決心したので、タイムキーピング命だった。

 

✍️2日目は何がなんだか分からなくなったので、紙に書き出して持ち歩いたくらいだ🤣

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11時過ぎからグッズ販売開始~開場が14時または15時となると、

グッズを朝から並ばない限り、恐らく1時間程待機することになったのではないか。

そうすると、それ以外の事柄を数時間で済ませる、となると、体感は本当にあっという間の開場→開演で、さらにライブも体感は30分くらいのはやさで終わるので

(笑・実際は勿論違う)、PIERROTライブは瞬く間に終わってしまった印象である。

 

ただし、ものすごく濃く、早く過ぎ去ったような。

 

ネット上で繋がったピエラーさんと直接会うミッションは、

1日目は勝手がわからず、どこでどうやって会うのがいいのか苦戦していた。

幸いなことに、お会いできた方は席レベルが同じだったので、開場後に会場内でご挨拶できて本当に良かった。

今回気づいたことは、服装や持ち物に何かしら目印になるものなどあると、見つけやすいんだなぁということだった。

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【1日目 ライブ本編】

1日目の1曲目、なんとまたしてもFINALE、そんなことあるんだ?!とは思いながらもこの曲の重みがかっこよくて、初っ端からヘドバンの嵐。

お馴染みの流れからの、またやってくれた「自●の理由」、有明で忘れていた振りを復習できて楽しかった(笑)

その後の曲が「青い空の下・・・」!まさか来るとは思わなくて、イントロですぐに気づけなかった自分、なまってる!この曲も20年ぶりで、嬉しかった!

屍を積み上げ、の部分、積み上げる振りがあったのね。。。や~そうだっけ(笑)?

 

8曲目にACID RAINが来てることに気づかず私はANSWERと思い込んだまま、終演まで気づかなかった。全然なまってる!大変失礼しました。でも脳内で歌詞は再生されてたんだよ。きっとこの雨が雪に…の部分、すごく聴き入ってじんわりしてたんだ。

→そしてHILLへの流れは素敵すぎ。いつぶりのこの流れだったんだろう。どなたかのツイートで、HILLに雪を降らす❄️のは潤のアルペジオ、とすごい素敵な表現があり、思い出して聴き入っていた。

 

その後のPIECESでは、「そうさ今でも 何一つまだ 捨て去る気などないさ」の部分をキリトが力強く歌ったことで、彼の本心を直接感じることができた。

というのも、前日にキリトの個人Youtubeチャンネルで、Angelo再始動の告知がなされていたからだ。

リアルタイムで見ていた自分は、”え、なんでこのタイミングでAngeloのことを…”と戸惑いと胸のざわめきを感じていた。

キリトの思惑がよくわからなくって。

だけど、ソロのKIRITO、PIERROT、そしてAngeloを同じ世界線に存在させるという行動が、世間的にキリトは一見何をやっているのか?と思われることをやっていく、とMCでも言っていたりしていたように、本当にその言葉通り、キリトの軌跡全てを全始動させた、ということなんだな、とこのPIECESを歌うキリトを見て、感じられたから何も疑念は抱かないことにした。信じよう、と思った。

 

思えば、2000年代も各メンバーはこういうことがやりたかったのではないか。

だけど当時のPIERROTとしては、各メンバーのソロ活動も行いながら、PIERROTもやっていくことは選択肢に入れられなかったのだろうな、と思わずにはいられない動きだったのを覚えている。

内部のことはわからない。

だけど今、キリトはアイジにニコ生でLM.Cに対バンを提案したし、アイジも快く即答で是非!という程の関係になっていることは確か。

あの時実現できなかった、私の予想ではメンバーが実現させたかった未来が今現実で繰り広げられている気がしている。

 

PIERROTというのは、あの2006年の解散をもとに一度バラバラになり、それでも8年後に2014年に奇跡の再結成ライブがあり、その後はDIR EN GREYとの対バンという形で一時的にまた集まり、また7年後に再度DIRとの対バン(2024)→ワンマンライブ(2025)1→ワンマンライブ(2025)2という流れで今日にいたる。

皮肉にも、PIERROTには常にあの2006年の突然の解散無しには今を語ることができない。だから私は個人的に、いつもPIERROTと出会えるチャンスというのは、まるで本当に「奇跡」に立ち会える瞬間だと感じている。それは今後もきっと変わることがないのだろうな、とも思うし、新曲だとか、ツアーだとかをやることも、きっとないんだろうな、ともこの流れに来て思うようになった。

だけど、それでも、現在進行形のPIERROTに会いたいしメンバーに会いたい。

 

私がPIERROTに出会った2003年頃にはもうきっとメンバー間の、デビュー当時の和気あいあいさはなかったように見える。当時は既に解散の噂や心配が囁かれていたから。

なので2024年・2025年に見るPIERROTのメンバーたちは驚くほど笑顔だったり、リラックスした雰囲気で、正直驚いているし、この様子を見る限り、また次もライブはあるんだ、と感じさせてくれる。

 

同時に、2003年の頃にはメンバー達もメイクが薄くなっていて素に近い装いだった。なので今逆に、しっかり舞台衣装を着こんでメイクもキメいているPIERROTメンバー達が超新鮮で、めちゃくちゃかっこいい!と感じている。

→グッズに課金してしまう

 

また余談と自分考察語りが長くなった。

今回も満月に照らされた最後の言葉、をやってくれた。

照明が青と黄色で綺麗に彩られ、月光の印象でステージが輝いていた。この曲を聴くたび一際幸せになる効果があると思う。

 

本編がCREATUREで終了後すぐ、私はトイレに走った。幸いにも自分の席は一番左だったので、すぐに動くことができた。

前回有明ではトイレに行くタイミングに出遅れ、アンコ1曲目の始まり部分で合流してしまった苦い思い出があったから必死だった。今回は走ったので並ぶことなく、余裕をもって席に戻り、アンコールもできた。

 

今回一番の驚きは、アンコ後の真っ赤な花の後のICAROSSだろう。

この曲は、前回のアフパで潤が次に演奏したい曲に挙げた曲で、きっとやらないよな、と本人も思っていた曲。なんとキリトが採用した。

この曲のイントロが鳴り響いた瞬間、ファンたちが”ヒュー!”みたいな歓声をあげたのが好きだった。本当に素直に感情を表現したような感じだった。

潤のギターソロが終わっても、ファンが湧いていたのもすごくよかった!

 

潤はちょっと前に自身のFC配信でこの曲のギター解説もしてくれていたし、その時からかなり完成されていたから、ジャー的にこの曲が実際に聴けたのはめちゃくちゃ嬉しかったし、何よりこの曲のあの振り、20年ぶりに下から上にパワーを送り上げた(笑)

意外にも覚えてるもんだ。

 

この日のライブ後は、前回一緒に参戦した友人たちと合流して感想を語った後、自分のホテルに戻った。

思ったより遅い時間に戻ったようで最寄り駅に着いた時間は21時過ぎて、食欲もあまりなかったので駅前の大阪王将で餃子をテイクアウトし、コンビニでキリンビールを買って帰った。ホテルに着いた頃には22時頃で、くたくただった。f:id:zukke200804:20250526202851j:image

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【開演前までの時間 2日目】

翌日、前日のヘドバンやライブの疲れ、時差ぼけ等は大丈夫か、起きられるのかと心配したが想像以上に自分はタフで、大丈夫だった。起きてしまえば今日のライブのことを考えるのみ!という感じで、元気だった。

この日は違う元同僚と、Kアリ周辺でお茶をした後、グッズに並ぶ予定だった。がしかし、この元同僚がこういうイベントに興味がある、とのことで一緒にグッズや、ロトグッズ交換、名刺交換まで立ち会うことになった(笑)

彼女はこのV系のライブに来たことがなかったので、全てが新鮮だと楽しんでくれていた。中でも彼女のピエラーに対する考察が面白かった。

 

彼女曰く、私を含め会場にいるファンの皆さんは落ち着きがあり、たとえ一見怖そうな人でもすごく親切・丁寧な方で (ローソンでキリトコスの方に優しくしてもらったらしい) 、だからこそライブで爆発するんですね、と言われて、確かに…と思った。

 

この日も沢山のピエラーさんとお会いし、交流をしたが皆さん本当に礼儀正しく、柔和で落ち着きがある。だけど会場で周りを見渡すと、振りをしたりヘドバンしたりしている人が大半である。自分もその一人だ。

彼女の客観的考察のおかげで、より一層ピエラーさん達に親近感がわいた。

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【2日目 ライブ本編】

さて、本日の1曲目は予想通り「Hello」。個人的には10年ぶりに聴いたので嬉しかった。この曲の潤のギターリフが大好きである。

 

4曲目にまたセルロイドがきた!今回はしっかり、腕を左右に振る振りがキリトと一緒にできてうれしかった。

その後はまたICAROSS、かっこよすぎた。2日連続は嬉しい。

7曲目に自●の理由。これも右にくるくる、左にくるくるの振り、ばっちりできて2月に参戦した甲斐があった(笑)

その後は、壊れていくこの世界で。久しぶりの綺麗な旋律の流れるバラード、聴き入った。PVロケ地はいつか行ってみたい。あの場所は日本に思えない。

 

そして次の曲は何と…BIRTHDAY!!!

めちゃくちゃ感動して、しばらく固まっていた。というのも、私は今この曲のアコギパートを3月くらいからギター練習しているからだ。ギター超初心者が始めるにはかなり難易度の高い曲だと、いまとなってわかるのだが、その分潤の凄さを日々実感できるし、あれをステージの上で演奏しているとなると、もう溜息しか出ない。

とにかく憧れる。これを聴けただけで今回Kアリに来た価値があった。①

 

→まさか本当に使うことになるとは思わなかった2000年代に地元の楽器屋で購入したスコア。現在絶賛愛用中!f:id:zukke200804:20250526193703j:image

 

この日は、あぁ次のPIERROTライブはいつになるんだろうとおもい、明日の自分の身体がどう痛んでもいいや、全力を尽くす!と決めていたので、とにかく全力でヘドバンをした。やっぱりゲルニカは思いっきり折り畳みするのが楽しい。

本編終了後、この日はトイレに行かなくて大丈夫だったので初っ端からアンコールを精一杯頑張った。

少し隣のお姉さんと雑談したくらいで、あとは全部アンコール叫びっぱなし。周りは最初、アンコールしてる人が左ブロックの方1人しかいなく、加勢する形で自分のブロックで1番にアンコールした。そうすると、段々と同ブロックからアンコール勢が増えていき、とても頼もしくなった。この瞬間、気持ちいいな、と思った。

それと自分は声は結構出る/通る方なので、その特性はこういう所で活かすべきだな、とも思った。

 

アンコ1曲目はHEAVENだった。何回・何百回聴いたって幸せな曲である。

REBIRTH DAYの後はなんと、なんと…SUPER STRING THEORY...!!!

正直ちょっと涙が出た。嬉し泣き。この曲は、実は2005年Temporary Dicisionツアーで地元に来てくれた時やってくれて見たはずだけど、大きい会場では初めて聴いたので大感動。

メンバーがそれぞれ舞台袖に走ったりして、

潤が今回もコーラスの時にキリトに顔を覗き込まれ、恥ずかしそうにはにかんでちょっとコーラスできていなかったの、しっかり見届けた!潤のコーラス時、いつもキリトのちょっかいとか出るの最高!10年前も、早くいけいけ!って感じで押されてる映像を見てニヤけ倒せる(笑)

早く今回分の円盤もください。(12月中旬までお預け)

この曲は、そういう微笑ましい姿も込みでハッピーしか溢れない曲なのである。ライブ映像で何度も見てきたし、その通りだった。

この曲を聴けたことが何より最大に嬉しかった。。。このためにも遥々来た甲斐があった②

 

HUMAN GATEの後にキリトのMC。

キリトがありのままの事実を、私たちに告げた。

「先の予定は決まっていない。ごめんね。」と、はじめて聞く穏やかで優しい口調の謝罪、だけど私たちを気遣った気持ちのこもった「ごめんね」だった。

キリトが謝る必要はない、と思った。

でもその後に続く言葉 「だけど、敢えて上から目線で言わせてもらうと、約束が無いと生きられない人間にはならないでほしい」 という言葉に、はっとさせられた。

その通りだ、と。先の約束なんて、何も確約されていない。

「約束」というのは見方を変えるとただその場を安心・なだめる言葉であり、場合によってはその”約束”は破られることだってある。

それは、残念ながらピエラーの中でも経験したことだかったから。

今回、次の約束の発表を心のどこかで待っていた自分と、キリトから言われたこの言葉の重みが相反していて、涙が止まらなかった。

 

私たちはいつからか、その約束をPIERROTから貰わなくなった代わりに、その時その一瞬を一生懸命生きてきて、”PIERROTがいない期間、どうやって生きてきたか今思い返すとわからないや”と呟くピエラーの発言もよく見かける。それだけみんな、一生懸命に前を向いてきた結果なんだなと思う。

 

この2024年10月から2025年5月までの夢のようなピエラーにとって、ご褒美タイムは一旦終わり。

だけど、潤も語った通り、奇跡が続いてしまうと、その奇跡を奇跡と感じられなくなる(ニュアンス)から、それまでみんながまた今を一生懸命生きた先に、PIERROTが待っているんだ、と思った。

 

アイジも、PIERROTをやれることは自分にとってご褒美のようなもの、という気持ちを伝えてくれて、それは私にとってもそうだなぁと感じた。夢のような3度にわたるPIERROTライブの参戦、約8か月間、間違いなく20年前のような、むしろそれ以上の熱量でPIERROTライブを楽しみに生きてこられた。

 

約束はない代わりに、キリトの「またいつか!」という言葉はある意味昔の「絶対に戻ってくるからな!」のような言葉より現実味がある言葉だと感じた。

 

キリトのMCはどうしてこんなにも胸に突き刺さるのだろうか、もう涙が止まらなくってその流れでCHILDだったわけだから、ピエラーにマイクを向けられるパートは今回歌えるはずもなく。

前回のジナスのCHILDは嬉しさがあり、涙が引っ込んだけれど、今回のCHILDは次いつ会えるのか、という寂しさが入り混じって感情がぐちゃぐちゃだった。

 

だけどライブが終わり、その日を終えた翌日には心はすっきり晴れていて、"またいつか"を楽しみに自分の人生を生きよう!と少しずつ思えていた。

完全に前向きは無理よ、自分に言い聞かせる感じで少しずつね。

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翌日以降も、潤がピエロスのあなたへ、とかいうタグを作ってくれ、PIERROTライブの本人の写真をUPしてくれたり、グッズの様子を伝えてくれて、嬉しかった。

PIERROTが終わったから、はい❕切り替え!とそれぞれのメンバーが切り替えてしまっていたら辛かったけど、アイジもKOHTAも潤もまだPIERROT関連の行動や投稿をしてくれて、有難かった。

 

Kアリ公演の翌日は、学生時代にSmiley Skeltonリリース時のPIERROT表紙 AREANA 37を見せて譲ってくれた古くからの理解ある親友と一緒に、渋谷のESP MUSEUMにいった。

ずらっと並ぶ竿隊の楽器、PIERROTまみれの空間とピエラーさん達の空間がとてもよかった。f:id:zukke200804:20250526190727j:image

f:id:zukke200804:20250526190936j:image

いまだにPIERROTのライブの余韻に浸っているけれど、それでいいんだなぁと思ってる。

最高の8か月間だった。本当に楽しくて、毎日PIERROTだったり主に潤のことを考えてこの日を過ごしてきた。

またいつか、再会の日はきっとくるから。それまでまたこれまで通り、自分の生きる世界を生きていこう。


PS. ついにメンバーのアクスタで推し活始めちゃいました✌️f:id:zukke200804:20250526203714j:image楽しい!

(メンバーさんの敬称略失礼いたします🙇)

(記録2025年5月投稿・長文注意) 2024年10月11日・12日 ANDROGYNOS - THE FINAL WAR- ピエラーのPIERROT最後、中途半端に終わるライブレポ

 

*はじめに*

こちらに投稿しているのは去年開催されたDIR EN GREY x PIERROTの対バンライブ、ANDROGYNOUS - THE FINAL WAR-のライブレポを発掘したため、投稿しております。

すでに時が経ちまくっていますが当時の自分的な盛り上がりの空気感は、少なくとも自分に伝わるものだったので、公に投稿して供養したいとおもい、投稿しました。

文章中に登場する友人たちにも読んでもらえたらいいな、と思ってます。

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-2024年10月ライブ後の記録-

今考えると個人的なPIERROTライブは10年ぶりだったのか、と今更気づく。 前回のANDROGYNOSは7年前とのことで、自分も行った気がしていたけど実は7年前のジナスライブはやってることすら気づいてなかったと思う。

当時はTwitterをやってなく、いろんな生活の変化もありバタバタしていたから気づいてなかったんだろうなぁと。 2014年の玉アリでは相当心が動いたらしく、当時の自分はこのように記していた。

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(ライブ後感想 PIERROT DICTATORS CIRCUS FINAL - I SAID HELLO- 2014/10/24)

”この日、8年ぶりに大好きだったバンドが2日間限りの復活をしました。

よく巷で「伝説のバンド、再結成ライブ!」とかいうニュースを目にしていた自分はそんなの他人事だと思っていた。

なぜならこのバンドの再結成なんて、当時の終わり方を考えてみれば、想像もつかなかったから。

生易しくないバンドだからこそ、無理だと思ってた。

だけど、いつの間にか気づいたら「その時」が私にも訪れていた。当たり前のように。

8年前と変わらないくらいのライブをやって、前より幾分かキリトに笑顔が増して、あの時の衝撃を忘れさせるほどの圧巻だった。1曲目から鳥肌が立つほどだった。そして、彼らとは悲しいお別れをしたはずなのに、私は最後まで何故か泣かなかった。最後にキリトが「ありがとう!」と玉アリ全体に聞こえるように叫んでくれたことにグッとくる以外は。

もう何も悲しみなんてなかった。とっくに悲しみは受け入れていたようで。

会場で会った友達には「なんか逞しくなったね!」とか言われちゃうし(笑)

人間8年もたてば、相当の場数を踏んでますね、間違いなく今の自分を支えて、作って、勇気づけてくれたのは、このモンスターバンド、PIERROTなしには考えられないわけです。

本当に今日は参戦してよかった。24歳の最高のハイライトになりました!”   

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思えば、解散後から再結成ライブをやったのも約7年、そしてジナス2回目の周期も7年と、なぜか7年毎のライブが多いように感じる。

(2014年再結成→2017年ジナス1回目は3年、2024年10月ジナス2回目→2025年2月ワンマンまでは4ヶ月なんだけどね) このライブが決まった時、なぜか絶対行かなきゃと感じたんだよね。

多分、前回のジナスのライブ動画見ててものすごくいいものだったから。

自分は今ドイツに住んでるけど、家族を説得し、有給を光の速さで取り直し、航空チケットを安い会社で予約した。 もちろんお金がかかるのは当たり前なんだけど、状況的に今の私はいける!という確信があり比較的簡単に今回は障壁なく旅程を立てられてよかったとおもう。

家族にも感謝、協力がないときつかった。 さて、1日目から振り返ろう。

 

まず今回何より大きなポイントとしては、ピエラーの友達と参戦できた事だ。

今まで大体のPIERROTライブは、家族かソロ参戦、もしくはピエラーでない友達を誘ってのみだった。だが今回は、気心も知れて話しやすい友人であり、ピエラー友とチケットを予約して取れたことが何より楽しみだし嬉しいことだった。

 

ファンになった当時、2005年あたりはまだまだPIERROTをはじめとしたいわゆるV系の音楽は一般受けと認知もされておらず、友達を見つけるのも難しかった。

なので、FCの文通友達募集欄で募集している方にお手紙を送ったり、たまにFool‘s mateの友達募集のピエラーの方に連絡を取ったりした。 今回ライブ参戦した友達は、多分、別のピエラー経由で偶然ライブ会場で知り合った友人で、1歳しか歳が離れていなく、そのライブが終わってからもちょこちょこ交友があり、ある日のキリトの生配信YouTubeを見た時に、ハンドルネームに見覚えがあったので連絡を取ったところ本人で、そこからまた連絡を取るようになった。

 

好きな人やことをリアルタイムで友人にメッセージしたり、話したりできることはとても貴重な経験だ。当時の私には周りにそのような友達が近くにいなかった。 今はSNSのおかげでその欲求を叶えられるけれども、当時はあってメールしかなかったので。

もちろん、文通でお友達からPIERROTのことを教えてもらったりしたことは忘れられない思い出だ。 だけど田舎在住の自分からしたら、仲間が近くに見つけられずに正直どこか寂しさもあったといえる。 なので今回2024年、ジナスライブでその友人とライブ参戦したり、文通から始まって今でも交友のある先輩ピエラーさんとまたPIERROTのライブで会えたことはかけがえのない思い出になった。

そして2日目は、なんと新しい出会いまであった。

1人参戦していた隣の席のピエラーさんと、ひょんなことからお話しするきっかけができ、連絡先を交換した。また2月に会えたらいいですね、と言って。 こういう未来は誰が予想しただろうか。 PIERROTライブの思い出を書くつもりが、PIERROTにまつわる人の縁についてどうしても書きたくて長くなってしまった。

気を取り直して、1日目から。 代々木第一体育館の会場が、なんとあの伝説の神宮橋の超最寄立地ということで、初めて橋に立つバンギャさん達を拝むことができた。

私は地方出身で、さらにPIERROT全盛期の少し後にこのシーンにハマったので当時の盛り上がりは知らないが、あの日楽しそうに集合してるバンギャさん達を見て、約束の地なんだなぁと思った。

初日はPIERROT先行ということで、一体何が最初に来るのか?!とピエラー達と予測しあったが、まさかそれが自主規制から始まるなんて想像を絶していた。 ヘドバンなんて多分10年ぶりだったので、ライブ前は"ヘドバンできるかなぁ"なんて懸念していた自分が馬鹿みたいに、普通にヘドバンしている自分がいた。

2曲目は、PIERROTを象徴する一糸乱れぬ振りが名物のAdolf。いつも前の人のふりを真似して忘れてるところを教えてもらってる。一気に周りとの一体感を感じられて、PIERROTライブでは外せないナンバー。

次にMADSKYが。この曲は特徴的な曲名や音楽で、PIERROTを知らない人やファンでない人でも聴いたことがある、ということも。印象的なTAKEOのバンバンッという音に合わせて腕を振り下げる部分がかっこいい。KOHTAの奏でるベースにリードされていく。

エネミーではいつも特効が飛び出すので、一気に会場のボルテージもあがる印象。

劣等感と〜の部分の振りが好きで、キリトの動きをモニターで見るのもよい。

モルヒネは私が初めてDicを玉アリで見た時に最初に衝撃を受けた曲。奇妙な振りや頭の動きが面白い。

その後に、カップリングver.パウダースノーが来たときは少し驚いたが、アルバムver.じゃない分、ここまで走ってきた勢いを落ち着かせることなく程よくチルダウンしてくれる立ち位置だった。

鬼と桜は今回1番ステージのライティングが工夫されている印象で、曲の世界感により浸れた。 REBIRTHDAYが来た時に何より驚いたのは、2回目のイントロ部分でいつもはキリトのみが「眠ってしまっていて」の部分で中央に行く部分で今回はアイジが歩み寄り、お立ち台に一緒に座った部分だ。なんだか昔あった色々ないざこざも、いまは和解してるよと伝えてくれたような印象で特に嬉しかった。

かと思えば次にCREATUREでまた客を思いっきり暴れさせにきて忙しかった。

畳み掛けるように、蜘蛛の意図へ。イントロ部分を聴くだけで臨戦体制に入れるのが不思議。 ガラスの破片を浴びて、部分の振りは虜さん達にとって難しいとの投稿を見て笑えてしまった。確かに、よく分かんないよね。ピエラーの中では歌詞内の光景がきっとビジュアル化してるから、表現できるのかなって。

その後のHUMAN GATEで感動的な展開かつ銀テープが降り注いだと思ったら、なんと最後に…SEPIA。 さらに泣かせにきてるPIERROT。

SEPIAをやったのは10年ぶり?覚えてないから確認しなきゃだが、とにかくこの曲といえば2006年解散時最後にライブで演奏された曲なので、ピエラー達にとってはとても切ない思い出も残っている。

そんな中演奏されたSEPIAで、キリトがアイジと潤のもとに行き、寄り添い歌うような姿を見せてくれたとき、キリトが「もう安心して」と伝えてきたような気がして、うるうるしていたところ、突然カメラが切り替わり不意打ちでKOHTAを映したもんだから、KOHTAも驚いたような表情で笑、笑えてしまって感動が笑いに変わった最後だった。

ハーケン

アドルフ

マッドスカイ

ドラキュラ

エネミー

モルヒネ

パウダースノウ

ゲルニカ

パウダースノー

鬼と桜

リバースデイ

クリーチャー

蜘蛛の意図

ヒューマン

セピア

 

2日目。この日はFC会報の文通友達募集欄で出会ったAさんと会う予定だったので楽しみにしていた。

このAさんとは本当に2005年初めてPIERROTライブに参戦したDic VIIから会場で会わせてもらっていて、本当に不思議なご縁を感じている。

一緒にライブを見たことはないが、いつもライブ会場でご挨拶できるだけでなんだか嬉しい。

そんなAさんの相方さんとも、前回キリトソロライブの時に一緒にお茶でき、お近づきになれたのは嬉しい進展である。

またこの日は母と20年ぶりくらいのPIERROTライブ参戦。

思えば初めてのPIERROTライブは母とだった。なので感慨深いなーと思っていた。

母の好きなサイケデリックラバーは昨日やらなかったし、やるだろうなと思っていたら、本当にやった!

この日に来てもらってよかった。

最初がHEAVEN始まりは涙腺がいきなり崩壊した。

この曲は1番好きな曲なのかも知れない。特に私がPIERROTを深く知ることになったのは、アルバムHEAVENのドキュメンタリーを見てからだ。

あの時のメンバー達は意見をいいあい、レコーディングの間に冗談を言い合ったり、順風満帆な様子だったから、そういう思い出を彷彿させる特別な曲なのかも知れない。当日知り合った隣のピエラーさんも号泣していた。なんだか知らないけど、嗚咽が止まらなくって、溜め込んでいたっぽいPIERROTへの思いが溢れてしまった1曲目だった。思い出してもまた泣きそうになる。

あと、この日のキリトの声!いやもしかしたら、1日目もそう感じてたけど、激しい曲ばかりで考えてなかったかも。 とにかく、いい意味で昔っぽさの残る印象的な歌い方だったんだよなぁ。

文字にするのが難しいんだけど、初期の方の舌ったらず感の残るような歌い方?

 

サイケデリックラバーで華やかな世界感が広がった後に、マグホリでさらに楽しい世界観が広がったんだけども、後からXを見たら「君に話しておきたいことがあるよ、だから落ち着いて聞いていて」がPIERROTからのメッセージの伏線だったんでは?と考察している人がいて、すごいな、その通りだ。と思った。

その後はアドルフにエネミー、モルヒネときた後、なんとここでラストクライが。

この曲もライブではよくやるけれども、いつ聴いてもいい曲だなぁと思う。ステンドグラスのプロジェクションマッピングが良かった。

その後、昨日と同じ曲で虜さんも一緒に盛り上がったのち、本編終了。

アンコールはもう声が枯れてもいいや!くらいずっと続けて叫んだ。

出てきたメンバー達はライブTに着替えていた。 最初、キリトのMCが始まり、またおちゃらけたMC始まったなぁーと思っていた。

詳しくは他の方の記憶力に頼るとして、とにかく"戦争の後に残ったのは、尊敬と感謝"。

DIR EN GREYはかつて倒すべきにっくきライバルでしたが、倒れませんでした笑"的な話の後に… "DIR EN GREYがPIERROTをやめさせてくれないんです"という事から、"なのでPIERROT、来年ワンマンライブをやります!!!"というキリトの大発表を受けたときは、もう現実か⁉️と思うくらい嬉しかった。

思い出してもこの時のMCからの大発表が素晴らしすぎて、もう早く円盤を見たすぎる…

DIR EN GREYのサポートもありPIERROTがこうやって再びファンの前で音楽を演奏できるその事実に感謝しかなく、しかも後日、京さんもめちゃくちゃ素敵なツイートをしていて、DIR EN GREYのことが色々大好きになっちゃいました。

 

そんな感動的な終わりにふさわしい、CHILDの演奏は感動的だった。

みんなで泣きながら大合唱して...(…って感動的なところで、ライブレポが途中で途切れていました笑😆多分当時、寝落ちした?!2025年5月再確認中に発覚、想像にお任せします!)

2025/5/22

やっとジナス円盤を見て、その当時の記憶を少し思い出した。母と、隣に座っていたキリジャーさんと一緒に会場を出ながらも、次の有明ライブの準備をしなきゃ、的な話だったり、有明ってどこだ?とかそういう話をしたような、しなかったような。

退場までに、ものすごく人が多く混雑していたので、ゆっくり歩いて、人混みが引くまで、駅近の星乃珈琲店でそのキリジャーさんとお話しをしていた。

→のちに有明で予定を合わせて再会し、親交を深めることになった☺️ありがとう、ご縁。

 

HEAVEN

PHYCHEDELIC LOVER

MAGNET HOLIC

Adolf

ENEMY

モルヒネ

ラストクライ

鬼桜

ドラキュラ

クリーチャー

マッドスカイ

ヒューマン

CHILD

どっかにハーケン

※雑なセトリの思い出し書きも面白いので残しておきます(2025.5月)

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以上、ここまで謎の締め文章が抜けたライブレポを読んでくれている方や、キXXイの親愛なるピエラーさんがいたら、ありがとうございました!

5月17日・18日も一緒に会場で楽しんでいきましょう!

ドイツの友人が語る、日本への客観的な声とは?

※AI機能がこのブログを読んでタイトルを考えてくれました!初めて使用したけど技術進歩、すごい(笑)

 

こちらに投稿しよう、と思いながらも気づいたら2か月も経過しており&仕事が12月から始まり怒涛の勢いで年を越して今に至っております。

 

今日はなんでブログを書きたくなったかというと、

日本学を学んだドイツ人の友達が、もう日本のことを好きじゃないという話が話題に上がり、切なさとともに納得する部分もあったからです。

 

こういう話を見たくない方は見ないでくださいね。

 

友人との会話で納得したこと、客観的に自国を見ることの大切さも実感したことを書き留めたいと思っての投稿です。

 

 

その友人はドイツ人で、日本語も流ちょう、日本での留学経験も複数回あります。

元々はこちらで同僚として知り合いましたが、意気投合して仕事を辞めても会っています。

 

その人は現在日本より韓国に興味を持っています。

但しドイツでは大学に行っていたら自分が専攻していた内容に特化した職しかあまり見つからないので、その人は日本にもう興味がないけれども、仕事探しは結局日本に関係した仕事を探さねばならないそうです。

 

今日何のことだったか忘れましたが話題が日本についてになり、

その人曰く「もう日本にはいきたいと思えないんだよね」という話になりました。

 

私は日本人で私とは日本語で話すことも多いにもかかわらず、

実はもう大分前から日本に興味はないと言っており、いまは韓国に興味を持ってることは知っていましたが日本が”好きじゃない”という事実を知りとっさに「え、なんで?」と聞きました。

 

すると納得せざるを得ない理由を話されました。

 

その人は数年前のコロナ流行期に丁度日本に留学していたそうです。

その際に日本の水際対策が、あまりにも「外国人」を冷遇したものだったことに心底失望したそうです。

確かに言う通り、当時は永住権を持つ外国籍の住人に対しても日本政府は「再入国は認めない」姿勢を取っていたことを思いだしました。

これは、私の夫が同じくドイツ人で外国籍出身者だったことから水際対策についてアンテナを張っていたから覚えています。

その時期に日本国外に出る=戻ってこられなくなる、という外国籍者にとっては見通しのない・厳しい政策でした。

 

その反面、例えばドイツではどうだったか。

ドイツでは外国籍者がどう、だとかそんな部分に焦点を当てていませんでした。

入国に有効なパスポートさえ持っていれば旅行者でさえも入国が許されていた。

その点に友人は疑念を抱いたそうです。

 

また、日本の歴史教育の点でも痛いところを突かれました。

第二次世界大戦で日本が他国に行った蛮行について日本は歴史の授業でしっかり教えていない。ドイツは少なくともドイツが行ったナチスの過ちを、しっかりと授業で教える。同じ側で戦った国同士と言えど、日本が行っている歴史教育って何だ、正直何様なのと思う、と言われました。(そのまんまの言葉です)

 

納得しかなく、また自分で何も言い返す言葉も見つからず情けなく思いました。

 

まず第一に、私自身は日本の歴史についてしっかり学んだ覚えがありませんので自分の国の歴史について話せません。

中学の時は受験のために勉強したくらいですし、高校は世界史を専攻していました。

途中日本史も履修の必要がある問題が世間で騒がれ、日本史も軽く学びましたが正直なところそれきりです。

 

今思えば、歴史の授業は海外で他国の人とコミュニケーションを取るためにとても大事なことだと感じています。

今年は少しずつ自分の国について、30代ながら、再勉強したくなってきました。

 

特にこの件で友人と喧嘩しただとか、議論が激しくなったというわけでは全くありません。

ただ、私ではどうにもできない自分の出身国のことで残念ながらこのような批判的は意見をもらうことは残念であり、ただ大事な意見、大事な客観的な視点だと感じました。

そういえば韓国人の友人からも、日本のことを批判されたことがあります。その時に気まずく感じました。

 

私自身もそのような友人たちの意見に大いに賛同する点があった部分が大きいことも、残念なことだなと思いました。

 

その人たちとはもちろん友達な事には変わりませんが、出身国が違うことでこのような育ってきた環境や考え方が異なることは避けることができないことです。

なので、普段はあまり政治的なことに関心を持たず、話さない/話せない自分の姿勢を改めたくなったのも事実です。

 

議論したいか、と言われるとそうでもないのですが一方でやはり自分の国について正しく知り、言われっぱなしなことも更によくない気がするので、そのような話の流れになってもしっかり意見の言える人間になりたいなと思いました。

 

 

このブログをここまで読んだ方は「こいつ何言いたいんだ」と思ったかもしれませんが、今日感じたこととしては

「日本への客観的・厳しい声もあるのは確か。ただ自分が何も自国について知らないというのも論外であり、日本人以外の相手に何も話ができないし、自国民からの視点として意見を伝えることもできない、ではよくない。」と感じたわけです。

 

2023.11/19-11/26 ドイツで仕事探し②&ドイツで働く人のマインド

お久しぶりのこのタイトル構成!この前自分のツイートで、「完璧を目指さなくていいんだ(ブログについて)」ということで、

 

https://x.com/yukkeco555/status/1727996630287188136?s=20

 

気楽にちょびっとでも、主に自分の記録用に書き続けたいと思ったので書きます。

(結果、書きたいこと綴ったら長くなった!)

 

たまたま今週末はゆっくり時間がとれたのもよかった点。

 

さてまた仕事をそこまで焦らずながら、それでも段々と減っていくお金の残高を見ながら内心焦りながら、探すことに努力していなかった今週、なんと嬉しい求人のご案内が幾つか入りました。

 

現在は今年の前期と違い犬を飼っているため、フルタイムではなくパートタイムの仕事を探すことにした私。

探すといっても、日系企業のパートです。

いきなり現地のお店の店員などになるのも、ありかとは思ったんですが興味あるお店の求人内容には運転必須だったりして、いったん難しいかぁと思ったりして。

 

あとワーホリで分かったことですが、日本食レストランのウェイターは私には不向きという事がわかりました(笑)

カウンターで渡す系のカフェやフードコート系の店員ならまだできますが。

なので、ドイツにある日本人向け求人の大部分を占める「飲食店の店員」は今のところ、ほとんど視野に入れてません。

 

オフィス勤務 日系企業のパートタイム求人は、ただでさえ絶対数の少ないフルタイム求人のさらに半分くらいの量になる体感です。

 

ですが運よく今週は複数の求人のご提案を転職エージェントさんからもらいました。

新規求人の案内は、1か月ぶりくらいです。

さぁどうなるか、これはちょっと先の自分がここに結論を書いているんだろうな。

 

 

話はちょっと変わりますが、

週末に元職場のドイツ人の元同僚兼友人と話をし、やっぱり「働く」に対しての感覚が違うなぁーと思ったこと。

 

大前提として、前の職場は〈ホームオフィスは基本無し〉の会社でした。

例外はもちろんありますが、ホームオフィスをするために上司の承認が毎回必要な会社です。

自分で選択できるホームオフィスでは、正直ありません。

 

そんな状況で働いている元同僚ですが、なにやら不満が募っているようでした。

全体的にホームオフィスを自由にできないその体制が大きな原因です。

ただ、それに対してのこの人(元同僚)の対応が、ドイツ式だなぁと思いました。

 

それは・・・

時には嘘をついて、もしくは病気(軽症)で、ホームオフィスをする戦法!

しかもそれをやっているのは、その子だけではありません。

他のホームオフィスをしたい子たちは、同じように人事にそう言ってホームオフィス希望を出しているそうです。

 

嘘とは、どんなものか。

例えば、在宅しなければならない家の定期点検業者がくるから、などです。(水道・ガス・電気点検ほか)

 

昨日の私は、働いていた会社の体制を知っているので「そりゃ、そうやりたくなるよな~」と何も疑問を抱かずに聞いていました。

抑圧されればされるほど、そうしたくなる気持ち、わかるよと。

 

が、一日寝て起きた今日の自分は、振り返ってみると”さすが!”と思ったわけです。

これは、何も”ドイツ人だから”というわけでもありません。

 

というのも、こちらで知り合いドイツにもう10年程会社員生活をしている

日本人のお友達も、似たようなことをよくしている、と言っていました!

 

つまり、ドイツにいればそういう人たちも普通にいる、ということです。

人種関係なくです!!!

 

日本人のお友達に関しては、過去にドイツの日系企業で頑張って働きすぎて、

さらにその”頑張り”を期待され、さらに仕事を押し付けられ、一度ワーカーホリックになり、疲れ果ててしまい、長期で病休をしたそうです。

 

そんな経験を経て、その人は「この国で頑張りすぎなくていいんだ・・・」と悟ったそうです。

 

海外の日系企業とはいっても、大体の日系企業は日本人が社長/代表なので、

考え方・求める働き方も”日本式”のところが多いかと思います。

よほど、人事などに日本人以外の方が介入していなければ。

 

そんな中で、企業が立地しているのはドイツなわけであり、法律ではドイツの「労働法」が適応されます。

もちろん、働く人たちは日本の働き方なんて知ったことが無い人たちだって沢山いるはずです。

 

私の印象からして、ドイツに住む人たちは「自分の権利」をすごく重視している人が多い印象です。

なので、会社が”A”と言ったとしても”A”とは言われたけど、私だって”B”になりたいときもあるんだ!と思えば、遠慮なく”B”を実行することもあると思うんです。

 

抽象的で申し訳ないです。

 

 

もっと具体的に言うと、例えば「病欠」の扱い。

 

ドイツでは病気になった労働者は、有給休暇を取得しなくても「病休」をもらえます。

 

そこで日本人的マインドでいくと

”病気でも早く復帰して仕事をしないとみんなに迷惑をかける。/お客様に申し訳ない”

という人が多いのではないでしょうか?

 

ですが、こちらでは「病気は病気、完全に治るまで医者の診断書の許す限り、休む」という文化です。

 

しかも医者も、医者に差はあるかもしれないですが、労働者側に寄った判断が場合が多い気がします。

”いつまで休みが必要かな?”と聞いてくれたり、

”もっと休みたかったらまたおいでね、診断書を書いてあげるから”と言ってくれるそうです。(友人の医者談)

 

そうやって病気やケガであることが人道的に(笑)許される社会であるがゆえに、もちろん しわ寄せはどこにでもあります。

 

例えばサービスを行使する消費者や取引先相手、同僚。

担当のAは只今病欠なので、あなたの件は対応不可能です。

Aが戻りましたら、また連絡します。

と言われることもありますし、代わりに対応してくれたAの同僚Bが

「私はAの代わりで聞いているのでこの件は分かりかねます。Aが戻ったら、連絡させます」、と結局解決されないことは普通なのです。

同僚B的には”あ~Aの件、私がやらないといけないか~”ではありますが、

先の回答「私はAの代わりで聞いているのでこの件は分かりかねます。Aが戻ったら、連絡させます」でも、それなりの理解を得られることがあるそうです。

 

だって”担当が不在だからどうにもならない”という一つの理由になります(笑)

 

もちろん、しっかりと対応してくれる企業もあります。

そんな企業だけだったら、社会が崩壊しちゃうので。

 

書いてて思い出しました!

ある日の週末なんて、ドイツのJR的な大企業の鉄道会社が「人手不足のため本日の電車の運行は1/3の運行に減らします」的な事をといきなり言われたこともありましたね!

大企業でも、やるときは普通にやってくれます(笑)

 

ご覧の通り、無理なものは無理と普通に言われることもザラです。

 

 

これら話を思い出して、何が言いたかったかというと、

次からは「頑張りすぎなくていいんだろう」と思ったんですよね。

 

 

性格上、手を抜くのがすごく苦手な自分ですが(不要な完璧主義者・こだわりがつよい・ただ自分にとってどうでもいいことに関しては結構雑なタイプ)、

こういうマインドを真似していかないと逆に自滅してつぶれてしまいそうなこの世界(ドイツ)。

 

一度会社で頑張りすぎた友人も、また立ち直って職場に復帰したとのことですのですごすぎます。

”申し訳ない / 面目ない”という言葉は、不要なんだろうなぁと思いました。

 

これは、決してそう思わなくていいというわけではなくって

不必要に他人に対して”申し訳ない / 面目ない”と思わなくていい、ということを意味して今書いています。

 

その土地の働き方や人々のマインドをコピーするつもりで、今度は働けたらいいなと思います。

 

昔の職場の中には、自分の足りなさを恥じて、力不足で申し訳ないなんて思って試用期間内に辞めた会社もありました。

 

でも話を聞いてもらった何人かの人生経験豊富な人達から共通して言われたのは、

「でもね●●さん、会社から「あんたクビね」とさえ言われなければ、その働きぶりで基本はよかったはずじゃない?」と言われました。

つまり、わたしは自分が自分にかけたプレッシャーや期待に負けて、退職を決意した部分も過去に大いにありました。

 

クビにさえならなければ、今の自分でいいんだ!というくらいの心持ちでいきたいとおもいます。

 

”自分は自分の思う通りに働けていない、会社に貢献できていない”

そんなことを言っているとどの会社でも退職しなければいけなくなりそうなので

(特に外国だと言語の面で)、

次からはもっと自己肯定感をもって、自分の権利を意識して、多少わがままに働いてみようと思います。

 

※ただし、ドイツの会社の試用期間外でね!

ドイツの試用期間は6か月が普通です。半年は多少は頑張らねばですね🔥

ドイツの企業は、ドライに結構さくっと試用期間中に雇用者を見限ることも多い、と聞いています。

 

 

こんなことを思ったので、こちらの友人たちの話を引用しました。

 

ありがとう、友人たちよ。参考にしようと思うよ。

 

ちなみにドイツで一度働いたことがある人達が口をそろえていう共通点があります。

「もう日本の働き方はできない」と。笑

 

その意味の中には「有給休暇」の付与が年間約30日ある背景もきっとあるでしょうけれど、さきの社会のバックグラウンドもあるから、と思います。

 

 

また働けることになったら、この日記を思い返して読めますように🌟

 

スーパーマリオRPGリメイクよ、ありがとう(ネタバレあり)

11/17に発売となった 任天堂 スーパーマリオRPG(リメイク版)

本日、合計15時間ほどのプレイ時間を経て、ついに1周目のクリアが終わった。

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終わってみて一言、最高のゲームだった…

 

実はマリオRPGをクリアしたのは人生初!

というのも、27年前の私には難しすぎた。

そもそもRPG系は多分、苦手なんだと思う。

クリアできた記憶が薄い(チョコボの不思議なダンジョンやFFなど)

 

なので今回初めてクリア後のEDを見れて、感動して泣きそうだった…ありがとう、リメイクしてくれて…

 

 

このゲームは1996年にスーパーファミコンで発売された作品で、

任天堂とスクエアエニックスという大手2大ゲームメーカーの合作、マリオ作品のRPGということで少し異色の任天堂ゲームだった。

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私はこのゲームを当時何でやりたがっていたかというと、

まずはマリオはスーファミ作品を幾つかやっていたし(もっというなら、ファミコンのマリオ作品もやった)、

1番の魅力は何よりも

 

クッパが仲間として使える、という点だ。

 

マリオ作品の中で魅力に感じるのは悪役クッパ、なぜだかわからないが昔から、怪獣だとかこういう強そうな爬虫類系のキャラクターが好きなのだ😆

 

 

今回6月の"ニンダイ"でこの作品のリメイクか発表された時に流れたこのゲームのBGMは、とにかく27年前のプレイをすぐに思い起こさせてくれるもので、このゲームのBGMが神がかっていたことを感じさせた。

 

このゲームのすごいところは、

当時遊んでいた人たちの望んでいたことが全部詰まっている&さらに新要素まで盛り込んできたところじゃないだろうか。

 

例えば、27年前のスーファミ作品のBGMも切り替えてSwitch版の本作を楽しむことができる点なんて最高すぎないか。

 

 

そしてグラフィックの綺麗さ。

特に、水の演出はすごかった。美しかった…

例えばこれ↓

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あとリメイク作品なのだが、いい意味で昔のままのセリフをそのまま使っていること。

 

例えば記憶に新しい今年公開されたマリオの映画作品🎞️では、ピーチ姫🍑👸👑が時代の流れに沿った 強い女性 として描かれており、マリオに死んでも「きゃ〜マリオ〜助けて〜!」なんて言わなさそうなキャラに。

 

だが、このRPGのピーチ姫はいわゆる平成•昭和?な日本の女性っぽい 今思うと、ぶりっ子系の "私女子なんで守って🩷" という感じのキャラのままで描かれている。

 

いやそもそもピーチ姫が、かよわい姫👸であったからこそ、いまのマリオ作品が生まれたと思っているので、否定はしたくない。

時代の流れってことだ。

 

クッパ🐢のキャラは、この前の新作マリオ映画に近いお茶目な要素たっぷりのクッパだった。こんなにチャーミングだったっけと、終始微笑ましかった。

 

この作品では、部下思いのクッパが垣間見える👀

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また、この作品でしかお目にかかれないオリジナルキャラ、マロとジーノと再び再会できたのは本当に嬉しかった。

 

特にマロ⛈️、当時から可愛いなぁと思っていたけど本当に今回も可愛かった。f:id:zukke200804:20231123074054j:image

癒し系キャラ。

一方でジーノ💫は、どこか謎めきつつも素早さが抜きん出ていて強くて、すごく頼りにさせてもらった。

 

スーファミ時代はジーノのことがあまり好きになれず、全然育ててなかった😅だから詰んだ←

 

メインキャラだけでなく、敵キャラ達も全員お茶目で愛着が湧く部分も好きな作品の要素だ。

 

☟お馴染みのクリボーやパタパタ達からRPGならではの敵まで

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↓この作品のサメの親分🦈が好きになる
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あと、マリオ作品に欠かせないヨッシー‼️

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この作品では色違いヨッシー達も一緒に暮らす ヨースター島🏝️🥚という島で、ヨッシーに乗ってミニゲームを遊べる。

 

色違いヨッシーだけでなく、ワッシーというキザな亜種も登場してくるあたりが楽しい。

ついでに言うと、次回のマリオ映画には確実にヨッシーが登場するみたいなので今からワクワクしてる🍎🍪🍎

 

ヨッシーもマリオ作品では大好きなキャラなので、こんな形でも会えるのは嬉しい。

 

そうそう、このゲームには各マップにミニゲームも沢山盛り込まれていて、本編以外も十分楽しめる点が好きだ😊

 

(今回1周目のミニゲーム?で一番時間をかけたのは、カエル仙人の住んでいるケロケロ湖の音符当てゲーム🐸🎵)

 

 

最後のEDに関しては初めて見たので、元々のEDのスーファミ画像が採用されていたそうなんだが、途中からBGMの様子も変わり あれ?と思った途端に、現代の最新グラフィックでスーファミ画質☞今のグラフィックに変わった演出には心が泣かされた😭

 

これが👇

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こう変わる瞬間👇

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しかもあのEDシーン、私の好きなディズニーランドのエレクトリカルパレードみたいじゃん、最後のお城🍄なんて、ディズニーじゃん!!!と思った。

 

あのEDシーンを、ぜひ実写してほしい。

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ユニバにマリオワールドゾーンがあるけども、

もうなんならスーパーマリオワールドというテーマパーク🎡🎢丸ごと作ってほしいと切に願っている。

 

特にワイン川下りの滝壺に落ちたときの、洞窟をクルクル🌀回るところのシーンが綺麗すぎて大好きだから、水系アトラクションにしてほしい…本当に。

 

で、パレードは今回のEDっぽくして…

 

絶対世界中からファンが集まるよ、

もしくは任天堂ワールドにしたら絶対成功するよ。

ポケモンもすごい人気だからさ👍

 

改めて、任天堂はもう世界のNINTENDOだなぁと思った。

 

エンドロールのクレジットを見たところ、今回のディレクターさんは女性の方の名前のようだった。

 

だからこう、心に刺さったんだろうか。

丁寧に細かく、余すことなくこの作品をリメイクしてくださって本当にありがとうございました。

 

生きててよかったです🍄🍀🍄

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任天堂は、ファミコンスーパーファミコン、64、ゲームキューブゲームボーイゲームボーイカラーゲームボーイアドバンス以降はプレイしていませんでした。(あ、wiiは6年前にカプコン作品をやるために中古で買いましたけど)

 

そんな中、2019年にSwitch Liteを購入して、それなのにカプコン作品ばかり遊んでいたんですが☜、

去年からSwitch lightでポケモンSVを、

そして今年はSwitch 有機ELを購入し、マリオワンダーに、このマリオRPGリメイクと遊んでみて、自分のゲーム人生の原点の原点に回帰できた気がして、本当に楽しんでます。

 

心が喜んでるのわかる😁

 

感謝の気持ちと、この溢れる思いを何か形にしたいと強く思いました🍄

こんなにゲームで色んな感情渦巻いて、感動して、あと沢山笑ったのは久しぶり、いや、はじめて?です!

ゲームって、ただのビデオゲームなんだけれども、だけど人の人生に深く刺さるものなんだなぁとすごく思いました。

これを知らない人たち勿体ない!

 

最後に…

これを読んでいるかつてマリオRPGを遊んでいたそこのあなたよ、絶対に後悔しない、むしろ最高の作品に生まれ変わってるから、気になってるなら絶対買いだよー!!!!

 

 

さぁ、まだまだこのマリオRPG、隠し要素やらミニゲームやら、新要素やらたくさん残っているようなので、まだ遊び倒していくぞ〜✊🔥✊f:id:zukke200804:20231123073653j:image

8月オーストリア旅行①(アルプス~チロル地方 Innsbruck インスブルック編)

オーストリア旅行について「次回書く、書く詐欺」をしてすみません!

8月のオーストリア旅行記を書きます。

なるべく文字より、写真多めに行きたいと思います。

 

約2週間かけて、フランクフルトから国境沿いの南ドイツの街、隣国のオーストリアまで🚙車・🐶犬連れ・キャンプ&ホテル&民泊 数回を含めいきました。

 

思い出すだけでも、結構大変だったぜ~という印象です(笑)

オーストリアとドイツの国境あたり(この写真はどちらの国か忘れた)



ただ、すごく忘れられない旅になりました。そういうもんですよね、大変なことのが記憶に残るというか。

 

初日に大体このくらいの距離感で移動しました。長かった・・・

5時間以上の車の旅なんて、横浜⇔大阪位の旅ですな。

もちろんトイレ休憩などをいくつか挟みながら・・・

 

今年の夏は暑かったなぁ。

1日目の大体の移動距離


南に、南に行けば行くほど広がっていく美しい山々の風景に心躍らせながら南下していきました。

 

今回初めて知ったのは、ドイツとオーストリアでは「高速道路」の制度が違うという事。

 

ドイツ:基本、どの高速道路も無料で走行できる。日本のような高速に入るためのゲートは無い。

オーストリア:有料。ステッカータイプの車のフロントガラスに貼り付ける”ヴィニエット Vignetteという「高速走行券 使用日数/月/年単位で選択」を購入する。

www.austria.info

ドイツでは、オーストリア国境近くのキオスクやガソスタで購入可能。

もしくは、オーストリア内に入り高速道路サービスエリアや給油所でも買えるが、入国後すぐに購入しないといけない。

区間ごとに購入ではなく、オーストリアの高速を走る予定日数ごとに購入。

 

EUの国同士なのでパスポートコントロールはないんですけれども、

国が変われば制度も変わるし、交通標識も違う部分があったりして「異文化」にうきうきしていました🌟

 

 

キャンプ 夜ごはんのシュニッツェルと現地ビール、レモンビール

これは滞在数日目に遭遇した山道での突然の渋滞。

最初は理由も分からず立ち往生でしたが、渋滞の理由は事故渋滞でした。

古い車が炎上したらしく、最後には真っ黒こげの車が反対車線をレッカーされていきました・・・

この日はとても暑かったので、いつ動くか見当もつかなかったのでそれぞれが大体エンジンを止め、外に出て日陰で休んだり、犬の散歩しだしたり、周りの人とおしゃべりしたり、と何ともヨーロッパの人達っぽい待機時間の過ごし方にぷち感動してました。

この場所は、ドイツとの国境沿いだったので大体の車がドイツかオーストリアナンバーの車でした。

思いがけずピクニックした感じで結構楽しかったです(笑)

山道で突然の1時間の渋滞

こちらは所変わりまして、Innsbruck(インスブルック)という街です。
この美しい色合いの建物群から覗く山々が素敵すぎます・・・
ドイツではこんな高い山が少ないので、このような景色はなかなか見れません。

訪れた日は、こう見えても38度近い猛暑だったので長時間街歩きはできませんでしたが、ぜひまた訪れ散策してみたい街だと思いました。

チロル地方の州都 Innsbruck(インスブルック

Innsbruckの街並み

スタバまで、シックでした~かっこいい!

InnsbruckのSTARBACKS

驚いたことに、この国はどうやら大麻が合法?っぽいですよね、堂々と道にこの自販機が佇んでいました。

まさかのハッパ自販機が!

今回はこのあたりで締めようとおもいます。

次回は、キャンプの写真&Salzburg(ザルツブルク)の写真を中心にお届け予定です。

 

本当はもっと沢山写真を張りたいし、紹介したいのですがキリが無いのでこのくらいのボリューム感で次回も予定します。

ただし、ウィーン編は倍の写真数にしようとかんがえてます。

 

それでは~

 

オーストリア #インスブルック #キャンプ #チロル