こんにちは!ドイツは昨日10/3、「東西ドイツ統一記念日」ということで、祝日でありました。
外は昼以降雨模様で、家でまったり過ごすことに決めたわけですが必要な事務処理は終えたので、すきなバンドのライブ映像をようつべでかけながら、色々物思いにふけてました。
最後のこのブログ更新は5月中旬でしたね。
あの時は所謂「病み期」でした。
慣れない/合わない会社に入ったと、初日から感じて約3か月間踏ん張ってました。
が、3か月というスピードで退職を決意し、暑い夏に無職になりました。
退職後、元の会社と若干ごたごたがあった話を今日は書き連ねます。
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ドイツでは職場を退職する際に、会社側からその雇用者に関する「勤務評価表(ドイツ語)」的なものがでます。
私も初めてそれを受けることになりました。
これがまた厄介なもので、
全てドイツ語なんですが、隠語を使用して書く文化がどうやらあるようです。
一見見ると普通にいい感じに評価されてる!と思われる文章でも、
副詞などが多用されていない文章は、勤務評価が低い、と分かる人にはわかる書き方になっているようです。
例:
評価:A良-B中-C低 とする
Aさんは与えられた仕事を遂行しました。/評価C
Aさんは与えられた仕事をしっかりと遂行しました。/評価B
ハッキリ言うと、最初に私に発行された「勤務評価表」のドラフトは、”評価:低”でした。
夫がドイツ人なので、ドラフトが提示されたときに一度目を通してもらったところ「これは良くないよ!」とのこと、驚きました。
前述のとおり、なんの予備知識もない私には普通に評価されているように見えていたのです。
がしかし、この”隠語”表現により巧みに私の勤務評価は低く書かれていたのでした。
正直、ショック以外の何物でもなかったです。
というのも、勤務している際に四半期ごとにあるという社内評価を上司・社長とともに行った際に、彼らは私を”中”評価としていたからです。
ちゃんと証拠だってありました。上司からの評価が掲載された評価データが。
なのに、”評価:低”とされたこの理由はなんなのか!
何度か人事担当者とやり取りをしたところ、”この勤務表は、(私の)直属上司・社長の評価を基にこの評価表を作成しています”とのこと。
つじつまが合わないことを人事担当にメールで説明し、証拠データだってある、これはどういうわけか、と説明を求めたところ驚愕の言い訳が・・・
”仕事を頑張って続けても貰うため、あの評価は通常より甘くしていた” とのこと(笑)
もうね、この時点で心がぽきっと折れましたよ。
なんだそれ!と。
それが真実でも、後付けの理由だとしても、どちらにせよこんなに人を馬鹿にした態度は許されない!!!と憤慨しました。
試用期間で退職した私が気に食わないのか、
あくまで会社は”正当に”評価したつもりなのか。。。
ちなみに、ドイツではこの「勤務態度表」制度は通常”元被雇用者”の今後の就職活動の有利になるように書く必要があると法律で決まっているんだとか。
しかしそれを一切無視した私の勤務評価表ドラフトは、ひどいものでした。
勤務評価表ドラフトの内容のほか、
私にかかわった上司・社長・そして人事担当者の手のひらを返したような冷酷な態度/姿勢に私はとにかくガッカリしました。
蓋を開けてみれば、という豹変ぶりに感じました。
ちなみに全員日本人です。この件に関しては、一切ドイツ人は関わっていません。
日本人こわ~
建前と本音の顔をもってるよ、とこの出来事以降より強く感じています。
一方でドイツの人たちは、表裏がいい意味でありません。
はっきりと意見をいってきます。
なので正直、あの日本人達よりも信頼できる、と今は思っています。
このような態度を取ってきた日本人と仲良くしている元同僚日本人も、”どうせ裏で繋がってんだろうな・・・”と思っているので、
”連絡先交換しよ!”と言ってきて交換しましたが、自分からは絶対に連絡しないと誓いました。
さて、この件についてどう対処したかというと・・・
結論→仲介業者を使用して、自分の希望の評価内容に書き換えさせた です!
なんでこの仲介業者を使用してお金を払ってまでこんなことをしなければいけないんだ、、、と心底当時は腹が立ちましたが、何より譲れないものがあると思ったからです。なぜこう思ったかというと、忘れられない自分史があります。
話は私の新入社員時代(10年以上前w)に戻ります。~~~~~~~~~~~~
当時、社会人の右も左もわからないまま入った会社でパワハラに遭った自分は”すべて自分が至らないせい”で病み、退職したという気持ちでした。
ただ当時はまだギリギリ”パワハラ”という言葉が社会的に認知されていない時代。
心身的に病気になり、半年の休職をした自分の退職は、「離職票」に”自己都合-「転職のため」”とだけ書かれて終わりました。
今でもこの時の離職票はしっかりと持っています。
当時から離職票のフォーマットには””職務に耐えられない体調不良、けがなどがあったため”等と記載はありましたが、
私の場合はそれについて言及することなく、
離職票の内容に”異議あり/なし”に自分のサイン入りで”異議なし”にしています。
本当に、あほだった・・・
ただ、当時の自分の判断力ではとにかくあの会社から一刻も早く逃れたいという気持ちが先行して、これ以上厄介ごとに巻き込まれないように、と逃げるように内容に同意のサインをしたとも、今思えば考えられます。
さっと調べたところ、とてもわかりやすく下記の主様が書いてくださっています。
今の時代はしっかりと自分の権利・異議を唱えることも、全然おかしくない気がいたします。
また、ネットの記事も本当に皆さんプロ的に分かりやすくまとめて書かれています。
こういった記事が、1人でも多くの悩んでいる人の役に立つんだと思います。
さて、この苦い経験があったため私は二度と”泣き寝入りはしない!逃げない!”と心に誓っていたんです。
自分に非がある場合は潔く認めたいとは思いますが、
少なからずとも会社のやり方が至らなかったとも感じている自分は、試用期間中に退職を決意した被雇用者として一方的に会社側の言いなりになりたくありません。
それに、試用期間ですよ!わたしだって選択の自由が会社と平等にあるのに、なんでこんな酷い扱いを受けるのか!
ということで、仲介業者を通して「異議」を申し立てました。
仲介業者は所謂、法を理解したあの方々です。職業名をはっきり書くのは避けさせていただきます。
私と、その会社の人事担当のメールのやり取りでは堂々巡りすぎて、さらにこんなやり取りをし続けること自体がストレスすぎて、仲介にはいってもらいました。
自分の希望する勤務評価内容を、仲介業者が作成してくれ(もちろんそこまで過大評価した評価は希望していない)、いたってビジネスライクに、丁寧に、仲介業者から担当者に訂正を依頼する、という形です。
正直、もしもそれすら拒否してきたら法廷で争うことになるのか・・・と懸念しましたが、最終的にはスムーズに勤務評価表は訂正され、事なきを得ました。
はぁ本当によかった。。。
そんなことが、退職後ちょっと続いて嫌な思いをしていました(;^ω^)
ま、今思えば後悔なし!予期せぬ出費が痛かったけど、すべきことをしたと思っているので、また金は稼げばいいや!と。
逆に言うと、一度出されてしまったものは後から訂正する方が難しいだろうし、一生残るものかもと考えればとてもいい決断だったと思います。
短期間ではありましたが勤めた会社に入ってよかったと思えることは、
その中でも仲良くしてくれた気の合う同僚と友達になれたことです。
退職後も気軽に会うことのできる出会いがあったことは、唯一意義のあった3か月だったなぁと。
話題を変えますと、今年夏に初めて隣国オーストリアに10日ほど旅行に出かけました。
!コアラのいるオーストラリアじゃないよ、ザッハトルテやモーツァルトが生まれた
オーストリアだよ!
この旅行が初めての来訪だったオーストリア、この国もドイツ語が公用語です。
色々いったり食べたり体験したりしましたので、次はその話をメインに書こうかな、と。
今日は今年夏の、退職後のごたごたについてでした!以上!
気分転換の一枚 ドイツのWürzburg 夏☀️の一枚
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